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東京地方裁判所 昭和53年(行ウ)66号 判決

原告 大平義弘

右訴訟代理人弁護士 宮川光治

同 水野邦夫

被告 中央労働基準監督署長 石橋侍

右指定代理人 天野高広

〈ほか四名〉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五〇年六月二〇日付をもって原告に対してなした労働者災害補償保険法による休業補償費を支給しない旨の処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和三八年一〇月一日、財団法人東京都結核予防会(以下「予防会」という。)に雇用され、以来庶務関係の業務に従事していた。

2  原告は、昭和四九年四月八日、予防会の会議室兼倉庫において、過年度の書類を点検整理するため、右書類の入った段ボール箱(縦四二センチメートル、横四六センチメートル、高さ約二六センチメートル、重さ約二三キログラム)を、高さ一五五センチメートルの棚から降ろそうとした際、腰を捻り負傷した。

3  原告は、その後、体調をみながら勤務していたが、次第に症状が増悪したので、同年四月一六日、医療法人社団村山診療所へ以下「村山診療所」という。)で診察を受け、「変形性脊椎症、脊椎側彎症、坐骨神経痛」と診断され、同年五月末ころまで治療を受けた。

4  原告は、同年六月五日、江東区枝川所在の予防会の倉庫において、同僚らと可搬型のレントゲン装置を宣伝車に載せ、それを中央区日本橋室町所在の事務所に運び、そこで待っていた他の同僚らと右レントゲン装置を降ろそうとしたが、その際、原告は腰痛を再発し途中でやめた。

5  原告は、前記2及び4の腰痛(以下「本件腰痛症」という。)に関し、同年七月一一日、東京都立大久保病院(以下「大久保病院」という。)で診療を受け、同年八月二〇日から国家公務員共済組合連合会立川病院(以下「立川病院」という。)に転院し、昭和五〇年三月四日から再び大久保病院に転院して加療を続けた。

6  原告の本件腰痛症は、以上の経緯からみて業務上の疾病であることは明らかであり、このため、原告は昭和四九年七月一一日から同五〇年六月一四日までのうち一四三日間右療養のため労働することができなかった。

7  原告は、昭和五〇年六月一六日、被告に対し右休業期間の休業補償給付の請求をしたところ、被告は同月二〇日、同四九年七月一一日から同年一〇月一五日までの九四日間については休業補償給付を支給する旨決定したが、同年一〇月一六日以降については支給しない旨の処分をした(以下「本件処分」という。)。

8  原告は、右処分について、昭和五〇年七月二四日、東京労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、同五一年一月一二日付で右請求を棄却され、同年三月四日、労働保険審査会に対して再審査を請求したが、同五三年一月三一日、これも棄却された。

9  しかし、昭和四九年一〇月一六日以降についても業務上発症した腰痛のために労働できなかったものであり、被告の前記処分は事実の認定を誤った違法なものであるので、原告は被告の本件処分の取消を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1ないし3、5、7、8の事実はいずれも認める。

同4については、原告が同僚らと可搬型レントゲン機械の運搬に従事したことは認めるが、その際腰痛を再発したとの点は否認する。

同6の事実は否認する。

三  被告の主張

1  原告の腰痛の業務起因性について

原告の腰痛に対する医師の診断書等によれば、変形性脊椎症、脊椎側彎症、坐骨神経痛、腰痛症、腰部椎間板症、椎間板変形症、椎間板ヘルニア等の傷病名が付されている。そこで、右各疾病の業務起因性を検討する。

(一) 腰痛症は症状名であって病名ではないから、検討の対象とならない。

(二) 変形性脊椎症、腰部椎間板症は、原告の場合、腰椎に骨棘が形成されて変性を起こしていることを指しているところ、これは突然に生ずるものではなく、年令の進行と共に長期にわたり徐々に生ずるものである。

(三) 脊椎側彎症は、原告の場合、坐骨神経性の側彎症であったと推測されるので、坐骨神経痛について次に述べることが妥当する。

(四) 坐骨神経痛は、種々の原因から生ずるが、原告の場合、椎間板ヘルニアが発生し、坐骨神経を圧迫したために生じたものと考えられる。

(五) そこで椎間板ヘルニアについてみるに、これは椎間板中の髄核が後方に脱失すると神経を圧迫して痛みを感じさせ、ラセーグ氏症状を生じさせるものであるところ、これが外傷によって生じることは極めて稀であり、原告が従事していたような業務から生ずることは到底考えられない。

したがって、原告のかような疾病が業務起因性を有しないことは明白であるが、被告は、審査の結果、請求の原因2記載の事実が認められたことや、村山診療所の訴外斉藤医師が調査担当者の意見聴取の際に、レントゲン写真から軽度の変形性脊椎症、側彎症も認められたので病名を変形性脊椎症、脊椎側彎症、坐骨神経痛と診断したが、真意は腰痛症が正しいと思うと述べたことを参酌して、総合的に判断し、労働省労働基準局長の「腰痛の業務上外等の取り扱いについて」と題する通達(昭和四三年二月二一日基発第七三号)にいう災害性の腰痛に該当すると認め、その程度を軽度の腰痛症とし、補償給付の対象としたものである。

2  原告の症状の治ゆ(症状固定)の時期について

(一) 労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)上の治ゆとは、病状が安定し、症状が固定した状態にあるものをいい(負傷にあっては創面治ゆ、疾病にあっては急性症状が消退し、慢性症状は持続しても医療効果の期待できない状態となった場合等)、治療の必要がなくなったものである。そして、残された欠損、機能障害、神経症状等は廃疾として障害補償の対象となる。

(二) 原告の腰痛症の治ゆの時期については、前記通達に「上記の業務に起因する腰痛の治療は、保存的療法(手術によらない治療法)を基本とすべきであり、通常三、四か月以内で症状が消退するが」とあり、また、医学上も六か月を経過すれば腰痛の急性症状が消退するとされているので、被告は原告の前記昭和四九年四月八日の災害による腰痛は右災害日から六か月以上経過した同年一〇月一五日をもって治ゆしたものと認定したものである。原告が、それ以降も腰痛につき自訴を続けているとすれば、それは原告に脊椎側彎症、椎間板変形症等の体質上の欠陥が認められることから、業務に起因するものではなく、持病の椎間板ヘルニアと考えられる。

四  原告の反論

1  治ゆの時期について

治ゆの意義については被告の主張を認めるが、結局、負傷または疾病に対する治療効果が期待できなくなり、かつ、その症状が固定した状態になったときをいうところ、原告の現実の治療経過をみると、昭和四九年一〇月一六日以降も治療を継続する必要があり、牽引、湿布、投薬などを継続すれば腰痛は軽快、消退していく状態にあり、さらに、同五〇年三月二七日から同年四月二六日までの大久保病院における入院治療の結果、腰痛症状は軽快したのである。

したがって、同四九年一〇月一六日以降も治療をすればその効果を期待しうる状況にあったことは明らかであり、右日時までに原告の腰痛症は治ゆしていなかったものである。また、同日時ころの原告の腰痛症の具体的症状をみると、原告が武蔵村山市所在の自宅から東京都庁(千代田区丸の内所在、国電有楽町駅下車)内にある予防会までバスや国電を乗りついで通勤するのは不可能な状態にあったといわざるをえない。

2  原告の腰痛症は持病の椎間板ヘルニアによる、との被告主張について

被告の右主張は、東京労働基準局医員である訴外松元司医師の判断を唯一の根拠としているが、同人の立場上公平な判断を期待し難い。同人は、原告の腰痛症は、「業務によって発症した可能性も否定できないので、三ないし六か月の急性期(亜急性期)の症状は業務上として認める。その後の症状は私病の椎間板ヘルニアと推定される。なお、六か月の時点において、後遺障害は障害等級第一二級一二号として打切られるのが望ましい。」と判断している。

しかし、証人芹沢憲一の証言によって明らかなとおり、腰痛症の治ゆの判断は、一年半ないし二年間位の経過をみなければ困難であり、前記通達に「業務に起因する腰痛の治療は、……通常三、四か月以内で症状が消退するが」とあるのは、医学的表現ではなく、全く行政的な規定である。

さらに、急性期、亜急性期の判断は一般論としても非常に難しいが、本件の場合、その資料も全くない。

すなわち、被告が六か月で休業補償給付を打切ったのは、全く非科学的で、行政上の配慮にもとづく処理としかいいようのないものである。

また、右松元医師の椎間板ヘルニアの推定には合理的な根拠がないうえ、仮に椎間板ヘルニアが存在しても、業務起因性の可能性があり、これを「私病」と推定するのは二重の意味で暴論である。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因1ないし3、5、7、8の各事実および同4のうち、原告が昭和四九年六月五日同僚らと可搬型レントゲン機械の運搬に従事したことは当事者間に争いがない。

しかるところ、原告は昭和四九年一〇月一六日以降も業務上の疾病である本件腰痛症は継続しており、そのため労働できない状態にあったので、本件処分は違法である旨主張する。

二  そこで、原告が腰痛症に罹患した経緯、治療経緯及び本件処分に至る経緯について検討するに、前記当事者間に争いのない事実及び《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和三八年一〇月一日、予防会に雇用され、以来庶務関係の職務に従事し、その内容は文書処理、職員の出勤管理、人事関係、会議関係、社会保険関係の業務であり、複十字シール封筒の入った二三キログラム程度の重量の段ボール箱の運搬も担当することがあったが、これは年間二〇個前後であった。また、原告は、結核検診に出張する際の可搬型レントゲン装置の運搬の応援に携わることもあったが、これも精精年数回の程度であった。

2  原告は、昭和四九年四月八日、予防会の会議室兼倉庫において、過年度の書類を点検整理するため、右書類の入つた段ボール箱(縦四二センチメートル、横四六センチメートル、高さ約二六センチメートル、重さ約二三キログラム)を、高さ約一五五センチメートルの棚から降ろそうとした際、腰を捻り腰部に痛みを感じた。

3  原告は、その後同月一三日に半日休暇をとったほかは勤務を続け、受傷後八日を経過した同月一六日に至ってはじめて自宅付近の村山診療所において受診した。同診療所における自訴は、腰痛と右下肢痛であり、変形性脊椎症、脊椎側彎症、坐骨神経痛と診断され、初診時所見ではレントゲン撮影により軽度の脊椎変形が認められるものの、その他に他覚的所見は認められなかった。原告が同診療所において実際に診療を受けた日は四月は一六日、一九日、二六日、五月は九日、一七日、二四日の計六日であり、治療内容はいわゆる対症療法を主体として内服薬の投与を行い、さらに軟性コルセットの装用を行う予定であったが、原告が右コルセット仮合せの指示に従わず通院しなくなったため中止された。なお、同診療所の医師は、原告は腰痛よりもむしろ精神不安定要素が大であるとの意見を述べている。

4  その後、原告は、同年六月五日、江東区所在の倉庫において可搬型レントゲン装置の運搬の応援を依頼され、同僚二名と共にこれに従事したが、同僚らに対しこれによって腰痛が再発した旨の訴えはしていないし、直ちに医師の診断をも受けず、また、その後の受診に際しても担当した医師に対しかような訴えはしていない。

5  原告は、同年五月二五日以降は腰痛の治療を受けることなく過したが、同年七月一一日に至って、予防会の理事の紹介により大久保病院整形外科において受診した。同病院における主訴は、腰痛と右下肢のしびれ感であり、腰部椎間板症との診断を受け、初診時所見では、脊柱に強直性、叩打痛はなく、過伸展可能、下肢腱反射正常、ラセーグ氏症状右疑陽性、下肢に知覚異常なし、レントゲン撮影により腰椎Ⅳに軽度の変形ありとされている。原告が同病院において診療を受けた日は同年七月の一一日、一二日、一五日、一七日、二九日、同年一〇月一五日であり、うち牽引は七月に二回行ったのみである。治療内容は牽引療法と投薬である。

6  原告は、同年八月二〇日から立川病院整形外科において受診したが、同病院における主訴は、腰痛と両下肢痛であり、腰痛症との診断を受け、所見は、レントゲン撮影により側彎症が認められたほかは他覚的所見は殆ど認められないとされている。原告が同病院において診療を受けた日数は同年八月二〇日から同年九月三〇日までの間三日、同年一〇月一日から二五日までの間二日、同年一〇月二六日から一二月二六日までの間五日であり、その後昭和五〇年一月に一日、二月に一日となっている。治療内容は骨盤牽引と投薬であり、治療効果は腰痛は軽快しているが、両下肢痛は持続しているというものであった。

なお、原告は、同病院において内科、神経科でも受診し、内科では胃炎、神経科では精神神経症との診断を受けたが、特に神経科においては、「職場の重労働に起因する後遺症である」との紙片を持参し、これには腰部の神経痛に始まり、心身不調、易疲労性、ゆううつ、いらいら、不眠等の所謂心気的愁訴が記載されており、精神安定剤投与等の治療を受けた。主治医は、原告には性格的に神経症親和性があり、精神医学的には業務との関連を一義的に結びつけるものを確認できないとの意見を述べている。

7  原告は、昭和五〇年三月四日から大久保病院整形外科において再度受診し(受診日は同月四日、一七日、二〇日)、さらに、同月二七日から同年四月二六日まで入院している。この時の主訴は腰部より右臀部、右下肢にかけての疼痛、しびれ感であり、前回と同じく腰部椎間板症と診断されたが、その所見は、脊柱に強直性が認められ、右臀部から右大腿後部にかけて圧痛があり、膝蓋腱反射亢進、ラセーグ氏症状両側九〇度であって、治療内容は主として骨盤牽引であった。

同病院が原告を入院させたのは、原告の腰痛の訴えにはノイローゼ的なものが相当加わっていると判断したことによるものであり、そのため脳神経外科(及び内科)においても治療が行われ、主として精神安定剤の投与がなされ、その結果、精神不安が軽快し、それに伴って腰痛の訴えも軽度になったため、軟性コルセットの装着を行い退院させたものである。

なお、原告は退院後、同年五月二日、同月三〇日、同年六月六日、同月一二日、同月二五日、同年七月三日、同月三一日、同年九月一六日に同病院に通院しているが、腰痛の訴えは一時軽くなっていたものの消退せず、右七月三一日からは再び腰痛を強く訴えるようになった。右九月一六日には、脊柱に強直性、叩打痛はなく、過伸展可能、腰椎前彎軽度に増強、膝蓋腱反射及びアキレス腱反射正常、ラセーグ氏症状両側八〇度との所見であった。

同病院の主治医は、原告には入院時に精神分裂症、ノイローゼの疑いがあり、慢性胃炎、調節性眼性疲労、疲労性湿疹があり、退院後の通院中も整形外科よりも脳神経科の治療が主であって、原告の腰痛はノイローゼ及び分裂症により修飾されているものと思われるとの意見を述べている。

8  ところで、原告は、原告の腰痛症は業務上の疾病であり、このため昭和四九年七月一一日から同五〇年六月一四日までのうち一四三日間につき労働することができなかったとして、同五〇年六月一六日、被告に対し右期間の休業補償給付の請求をしたものであるが、被告はこれについて東京労働基準局医員訴外松元司に意見を求めたところ、同医員は「1作業従事期間 請求人の訴えによると四九年三月末から四月八日にかけて年度切換えによる書類の持ち運び移動の作業をしているようである。2作業量 1の如く約二三キログラムの重さを時には運搬している。3作業要態 1、2の場合腰痛が発症しても不思議でない要態である。4検査所見 脊椎側彎性、椎間板変性症、ラセーグ氏症状(+)。5自覚症状 腰痛、右下肢痛を主とする。6結論 以上よりみて身体的に欠陥(椎間板変性、側彎症)が認められる。しかし、1、2、3等からみて業務によって発症した可能性も否定できない。すなわち三ないし六か月の急性期(亜急性期)の症状は業務上として認める。その後の症状は私病の椎間板ヘルニアと推定される。」との意見書を提出した。同医員は原告を直接に診察せず、原告の聴取書、村山診療所、大久保病院、立川病院の各医師の診断書、大久保病院主治医の意見聴取書等を参考にして判断したものであり、原告にはレントゲン線学上脊椎に変性がみられ、右下肢痛、坐骨神経痛があり、ラセーグ氏症状も存在するところから、原告の腰痛症は椎間板変性症から生じたヘルニアの症状であると推定したものであるが、原告の業務態様を勘案すると、業務起因の可能性は薄いものの、書類の運搬を契機として腰痛が発症した可能性を完全に否定し去ることもできないため、仮にかような場合であったとしても、かような腰痛は三、四か月で消退するのが通例であるから、三ないし六か月の症状を業務上のものとして認めるのが妥当であると考え、右意見書を作成したものである。

被告は、右意見書に則り、原告の腰痛症を「腰痛の業務上外等の取り扱いについて」と題する労働省労働基準局長通達(昭和四三年二月二一日基発第七三号)にいう業務上の疾病に該当する「災害性の腰痛」と認め、かつ、これは昭和四九年一〇月一五日をもって治ゆしたものとして本件処分を行ったものである。

9  原告から審査請求を受けた東京労働者災害補償保険審査官は、関東労災病院に鑑定を依頼し、同病院医師訴外鈴木勝己は昭和五〇年一〇月二日付で鑑定書と題する書面を作成したが、これによると、主訴及び自覚症は、腰痛があって眠れない、両下肢がしびれて歩けない、頭痛がときどきするというものであり、傷病名は、変形性脊椎症、脊椎側彎症、坐骨神経痛であり、他覚症状並びに検査成績は、腰椎は不撓性(-)、圧痛(+)、Ⅳ、Ⅴ棘突起上及び右上臀皮神経域、掌圧痛(+)、Valleix(-)、両下肢伸展挙上正常、ラセーグ(+)、下肢は右そけい部以下痛覚鈍麻(+)、右腸骨か及び右そけい部に圧痛(+)、筋萎縮(-)、両膝蓋腱反射正、両アキレス腱反射稍減弱、筋力も特に減弱はない、一般検査では血液、尿には特に異常をみない、レントゲン線学的には右大腿骨頭外上四分の一が硬化してみえるほか、脊椎には軽い変形性脊椎症様所見がみられるというものであり、同医師は、総合意見として、整形外科的には、現所見からは昭和四九年一〇月一五日治ゆは無理であったと思われると同鑑定書に記している。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

三  そこで右事実に基づいて、まず、昭和四九年四月八日の原告の受傷について検討する。

《証拠省略》によると、前記昭和四三年二月二一日、基発第七三号の労働省労働基準局長通達は、業務上の疾病である「災害性の腰痛」認定の要件として、(1)負傷または通常の動作と異質の突発的なできごとが発症の原因として明らかなものであること、(2)局所(疾病の発生部位)に作用した力が発症の原因として医学常識上納得しうる程度のものと認められること、を挙げ、その「解説」によれば、腰部の打撲など外力が直接その部位に作用した場合のほか重量物の運搬作業中に転倒したり、重量物を二人で運搬中一人が滑って肩から荷をはずしたりして、当該労働者に瞬間的に重量が負荷されたような場合が考えられるとしていることが認められる。また、《証拠省略》によれば、右通達の改訂である「業務上腰痛の認定基準等について」と題する労働省労働基準局長通達(昭和五一年一〇月一六日基発第七五〇号)には、「災害性の腰痛」認定の要件として、(1)腰部の負傷又は腰部の負傷を生ぜしめたと考えられる通常の動作と異なる動作による腰部に対する急激な力の作用が業務遂行中に突発的なできごととして生じたと明らかに認められるものであること、(2)腰部に作用した力が腰痛を発症させ、又は腰痛の既往症若しくは基礎疾患を著しく増悪させたと医学的に認めるに足りるものであること、を挙げており、その「解説」には、ここでいう災害性の原因とは、通常一般にいう負傷のほか、突発的なできごとで急激な力の作用により内部組織(特に筋、筋膜、靱帯等の軟部組織)の損傷を引き起すに足りる程度のものが認められることをいうとしており、前記基発第七三号による通達と同様の事例を挙げていることが認められる。

以上の認定に反する証拠はない。

ところで、原告の受傷は、前記のとおり約二三キログラムの重量の段ボール箱を棚から降ろそうとした際に腰を捻ったというものであり、原告の受診した各医療機関の診断によるも、原告には打撲傷等の外傷や筋、靱帯等の内部組織の損傷は全く認められず、右受傷に基づく腰痛の業務起因性には疑問の余地がないわけではなく、また、《証拠省略》によると前記各通達にいう「災害性の原因によらない腰痛」とは、重量物を取り扱う業務等腰部に過度の負担のかかる業務に従事する労働者に腰痛が発症した場合を指していることが認められるところ(この認定に反する証拠はない。)、前記認定の原告の業務態様に照らすと、原告の腰痛がこれに該当しないことも明らかであるということができる。

しかしながら、被告は、前記のとおり、原告の腰痛を「災害性の原因による腰痛」であり、業務上の疾病であると認定したものであるところ、この認定を前提としても、原告の受傷の業務起因性は極めて稀薄であって、原告の体質的なものに起因する腰痛症発症の誘因になったにすぎないものと認めるを相当とする。

四  次いで、被告は、原告の腰痛は業務上の疾病であるとの認定を前提として、これは受傷時から約半年後の昭和四九年一〇月一五日をもって治ゆしたものと判断して、本件処分をしているので、これの当否を検討する。

まず、労災保険法にいう治ゆとは、症状が安定し、疾病が固定した状態にあるもので、治療の必要がなくなったものをいい、負傷にあっては創面の治ゆした場合で、疾病にあっては急性症状が消退し慢性症状は持続しても医療効果を期待しえない状態となった場合をいうものと解すべきところ、これについては当事者間に争いがない。

そして、原告の治療経緯は前記認定のとおりであるが、原告の受診した各医療機関における、自訴、異常所見、治療内容、病名、診療日は、次表記載のとおりである。

病院名

自訴

異常所見

治療内容

病名

診療日

村山診療所

腰痛

軽度の脊椎変形

対症療法

変形性脊椎症

昭和四九年四月―一六日・一九日・二六日

同五月―九日・一七日・二四日

右下肢痛

脊椎側彎症

坐骨神経痛

大久保病院(一回目)

腰痛

ラセーグ氏右疑陽性

牽引

腰部椎間板症

同七月―一一日・一二日・一五日・一七日・二九日

同一〇月一五日

右下肢しびれ感

腰椎Ⅳに軽度の変形

投薬

立川病院

腰痛

側彎

牽引

腰痛症

同八月二〇日から同九月三〇日まで三日間・同一〇月一日から同二五日まで二日間・同二六日から同一二月二六日まで五日間

両下肢痛

投薬

大久保病院(二回目)

腰部より右臀部、右下肢にかけて疼痛、しびれ感

脊柱に強直性・右臀部から右大腿部にかけて圧痛・膝蓋腱反射亢進・ラセーグ氏両側九〇度

牽引

投薬(但し、精神安定剤)

腰部椎間板症

昭和五〇年三月―四日・一七日・二〇日

同月二七日から同年四月二六日まで入院

これをみると、自訴は腰痛と右下肢痛が多く、これが一貫して継続しており、前記認定のように、大久保病院への入院により一時軽快したものの消退せず、昭和五〇年七月以降も再び訴えを続けているものの、他覚的所見には乏しく軽度の脊椎及び腰椎の変形、脊椎の側彎が認められ、またラセーグ氏症状が認められる程度である。もっとも、昭和五〇年三月に大久保病院において再受診した時には異常所見が増えており、ラセーグ氏症状も悪化している。治療内容は村山診療所では対症療法、その他はいずれも牽引と投薬である。つまり、昭和四九年四月から同五〇年四月ころまでにかけて原告の自訴、所見、治療内容ともに大差はなく、異常所見はむしろ増えているといえる。そして、原告の受傷態様が前記のように軽微なものであって、腰痛発症の誘因になったにすぎないものと認められ、《証拠省略》によると業務上の原因に起因する腰痛は、ほぼ三、四か月以内に症状が軽快するのが普通であり、特に症状の回復が遅延する場合でも一年程度の療養で消退又は固定することが認められ、これらに照らすと、少くとも被告が治ゆしたものと判断した昭和四九年一〇月一五日までには原告の腰痛症は既に慢性症状となっており医療効果を期待しえない状況であり、労災保険法上の治ゆに該当するものと認めるを相当とする。

原告の自訴がこれ以降も頑強に継続していることにつき考えるに、前記各医療機関において原告の腰痛に対して付された病名は、前記の如く、腰痛症(立川病院)、腰部椎間板症(大久保病院)、変形性脊椎症、脊椎側彎症、坐骨神経痛(村山診療所)であり、このうち、腰痛症は症状名であり、坐骨神経痛も疼痛原因を示すものではない。脊椎側彎症は、《証拠省略》によると、原告の場合、疼痛の結果として生じたものと認められるので、疼痛原因ではない。また、変形性脊椎症、腰部椎間板症は、《証拠省略》によると、原告の場合、腰椎に骨棘が形成されて変性を起こしていることを指しており、これは急性のものではなく経年性の変性であることが認められるが、これは軽度のものであり、《証拠省略》によると村山診療所の主治医は、健康保険による治療の関係で前記のような変形性脊椎症等の病名を付したものであり、真意は腰痛症が正しいと思う旨述べていることが認められること、及び《証拠省略》に照らすと、右変形が疼痛と直接の因果関係を有するものとも認めることはできない。この点につき東京労働基準局医員訴外松元司は、前記のとおり、原告の腰痛症を椎間板ヘルニアの症状であると推定しているが、もとよりこの可能性も否定しえないが、かように断定するに足る証拠は存せず、結局、原告の腰痛の原因はそれを裏付ける他覚的所見に乏しく、不明であるといわざるをえないが、何らかの原告の体質的素因に基づくものと考えざるをえないものというべきである(因みに、《証拠省略》によると、原告は昭和四五年ころにも腰痛を同僚に訴えていたことが認められる。)。

なお、前記のとおり、村山診療所、立川病院、大久保病院の各主治医は、原告には性格的に神経症的傾向があって、精神不安定的要素が大であり、また、原告の腰痛はノイローゼ及び分裂症によって修飾されているものと思われる旨の意見を抱いていることが認められ、また、前記のように原告の腰痛には自訴を裏付ける他覚的所見に乏しく、大久保病院入院時においては、精神安定剤投与等の神経科的治療により精神不安が鎮まると共に腰痛の訴えも軽減していったことや大久保病院退院後も整形外科よりも脳神経科の治療が主体であった事実に照らすと、原告の腰痛の自訴には精神不安定的要素が相当程度存在していることを推認することができる。

さらに、原告は、昭和四九年六月五日にレントゲン機械を運搬した際、腰痛のため作業を中止した旨述べているが、これは前記のとおり、当時かような訴えを同僚等に対してしていた事実等が認められず、またその後の受診に際しても述べていないことから直ちに措信することはできないが、仮に右のような事実が存在していたとしても、前記のとおり原告は右事件から一か月以上経過した同年七月一一日に至るまで受診せず、受診に際しても、右事実に触れていないこと等からみても、右腰痛は極めて軽微なものであったことが窺われるから、前記原告の腰痛の治ゆの判断に影響を及ぼす程度のものではないというべきである。

五  ところで、前記のとおり、訴外医師鈴木勝己はその作成にかかる書面中で、原告の自訴及び種々の他覚症状を記して、昭和四九年一〇月一五日をもって治ゆと認定したのは無理であったと思われるとの意見を記載し、また、鑑定の結果によれば、鑑定人芹沢憲一は、原告の腰痛について(1)三ないし六か月を急性期と認めることはできない、(2)椎間板ヘルニアに罹病していたかどうかは不明である、(3)私病であるとする事実は見あたらない、(4)昭和四五年一〇月一五日に治ゆしたということはできない、旨の結論を鑑定結果として記載していることが認められ、さらに証人芹沢憲一の供述も同様である。

しかし、右鈴木医師の書面について考えるに、そこに記載された種々の他覚的所見は昭和四九年四月八日の腰痛発症に直接関係しているものとは解されず、また同医師は、右裏面作成当時に原告の自訴があり、ラセーグ氏症状等の所見も存在することから、客観的に腰痛が存在しており、そうである以上医学的には治ゆしていないといわざるをえないとの見解を述べているにすぎないものと認められる。また芹沢医師の鑑定及び供述についても、同証人の供述を検討すると、同人は、純粋に医学的見地に立って、腰痛の自訴とそれに対応する治療が続けられている以上、治ゆとはいえないとの見解に基づいて右鑑定を行い、また供述をしていることが窺われる。

したがって、これらの見解は、いずれも労災保険法上の治ゆの判断とは異なる観点によるものであり、これらをもって前記労災保険法上の治ゆの認定を左右することはできないものというべきである。

そして、他に右労災保険法上の治ゆ認定を左右するに足る証拠はない。

六  以上のとおりであるから、原告の腰痛発症日である昭和四九年四月八日から同年一〇月一五日までを業務上の疾病と認め、その後の症状については業務外として休業補償給付を不支給とした被告の本件処分は相当であったものということができるから、これを違法としてその取消を求める原告の本件請求は理由がないものというべきである。

七  よって、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邊昭 裁判官 赤西芳文 鈴木浩美)

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